「母の日」の母
カーネーションを贈るという「母の日」の習慣は、1908年のアメリカでアンナ・ジャービスという女性が、最愛の母の死後、教会で追悼集会を開き、彼女の母が好きだったカーネーションの花を配ったことに由来しています。
その後、アンナは両親に感謝し、家族の絆を確かめる「母の日」を広める活動をアメリカ各地で行いました。しかし「母の日」がこれほどまでに世界中に広まったのには、別の「母の日」の活動があったからなのです。
その活動を行っていたのは、アンナの母アン・ジャービス。社会運動家として活躍した彼女は、アメリカ南北戦争中に「母の日仕事クラブ」というボランティア団体を結成。「母の日」の名の元に中立を宣言し、南北問わず傷付いた兵士たちの看病や公衆衛生の改善に取り組みました。
戦争終結後もアンは、南北のわだかまりを解く平和活動や、協会の日曜学校の教師としての活動など、「母」としての愛情を多くの人々に注ぎました。それを間近で支え続けた娘のアンナがアンの死後、愛の実践に生涯を捧げた母への尊敬と愛情、そして平和への強い願いを込めて「母の日」制定に向けて活動を始めたのです。
その願いはアメリカ全土で多くの人が共感、感動し、1914年には第28代ウイルソン大統領によって5月の第二日曜日が「母の日」に制定されました。そして平和を願う全ての偉大な母親に感謝する「母の日」は、世界中へ広まっていったのです。